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~追憶は桜真珠の君を導く~ 15

last update Last Updated: 2025-09-26 11:22:40

   * * *

 ――珊瑚蓮の精霊を犯せ。殺せ。

 女王オリヴィエの命令を受け幽鬼となった仙哉は超人的な速さで黄金水仙宮から紫紺躑躅宮へ駆けつけ、結界に触れた。

 悪意あるものが触れれば灰になると恐れられる結界だが、瘴気を発する闇鬼と異なり、幽鬼は瘴気を外へ垂れ流すことがないためすぐさま灰になることはない。現に仙哉の身体に火傷の痕が生じても、炭化するまでには至っていない。

 すでに痛覚も意味を成さない幽鬼にとって、自分の身体が傷つくことはたいしたことではない。ただ、命令を無事に遂行できるまで、この身体がもてばよいだけのこと。そのためなら何人でも殺してその血肉を自分の身体へ分け与えることも厭わない。

 見えない結界を力ずくで壊した仙哉は血玉に染まった瞳で周囲を見回す。

「どこにいる、珊瑚蓮の精霊」

 すでに宮殿前に立っていた警吏兵を三人殺めた手と足は血まみれで、すり歩くたびに床や壁を真っ赤に染めていく。途中で自分を拘束しようと立ちはだかった神殿の術者にも遭遇したが、彼らも再起不能の状態に陥っている。徒に生命を奪うことはせず、腕や足を切断して壁に飾りつけたのは、彼らが仙哉と同じ狗飼の人間だったから殺すと自分の身まで厄介なことになるというたわいもない理由だ。

 仙哉の手には禍々しい光を帯びた長剣がある。オリヴィエが幽鬼となった仙哉を従えるために渡した呪具だと知らないまま、彼はその武器で邪魔者を退けていく。

 ――珊瑚蓮の精霊を傷つけ、黒い花を咲かせることで神皇帝を絶望させ、国を、世界を、滅ぼすのだ。

 仙哉を洗脳していく蕩けるような甘い囁き声が憎しみに彩られた世界を壊せと命じつづける。神々が遊ぶこの世界は間違いなのだと言いたそうに。

「……ここか」

 やがて辿りついたのは宮殿の最奥に位置する硝子の間。幾重にも張り巡らされた結界を長剣で一気に断ち、仙哉は扉を突き破る。

「そこまでだ」

 低い声が、仙哉の耳底に響く。首元に白銀に光る細剣(レイピア)が突きつけられている。

 ハッと瞳を見開いた仙哉の口から、自分ではない何者かの声が飛び出す。
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